Vol.88 Robert Berry / August 2018

Robert Berry


Photo by by Dave Lepori

ソング・ライター、アレンジャー、そしてシンガー、ギター、キーボードからドラムに至るまでマルチ・プレイヤーとしても卓越した才能を放つミュージシャンであるロバート・ベリーが亡きキース・エマーソンとして進めていたプロジェクト”3.2″。1988年にはキース・エマーソン、カール・パーマー、ロバート・ベリーが集結したプロジェクト”3″にて「…TO THE POWER OF THREE」をリリースしており、その続編に位置付けられる”3.2″であったが、プロジェクトの真っ只中であった2016年3月11日に不幸にもキース・エマーソンが他界。悲しみと困難の状況下、生前のキースが残した各曲のパーツ、アイデアにロバート自身の新たな曲のパーツ、キースの遺志を継ぐアイデアを編み込んでいくといった高度な手法によりアルバムの制作は続けられた。そして遂に完成したキースとの作品は、 3.2 「The Rules Have Changed 」としてファンの元に届けられた。アルバムは美しくキャッチーなメロディ、卓越したセンスに溢れたアレンジ、清涼感に溢れる歌声、そして思慮深い歌詞により展開される世界感を持つ見事な作品となっている。至高の作品についてロバートに訊いた。

Interview / Text  Mamoru Moriyama
Translation         Hiroshi Takakura


Photo by Dave Lepori

Muse On Muse (以下MM) : まず最初に話は80年代に遡りますが、あなたとキース・エマーソン、カール・パーマーと共に 3(スリー)を結成し、1988年にアルバム「…to the power of three」をリリースしましたが、この経緯について詳しく教えて下さい。
Robert Berry (以下RB) : まず最初にこのインタビューを企画してくれて嬉しく思ってるよ。日本のファンは僕のキャリアを通してサポートしてくれていて、キースも日本のファンがベストだ!って言っていた。彼は日本を愛していたからね。

話は86年に遡る。カール・パーマーがカリフォルニアにある僕のスタジオに電話をくれたんだ。カールはゲッフェン・レコーズのジョン・カロドナーから僕のソロアルバム「Back to Back」のカセットープを受け取って、僕の曲と声を気に入ってくれたんだ。僕は良いローカル・バンドにはいたと思うけど、世界的には無名だったからすごく驚いた。カールとバンドを始めるために、その次の1年かけて僕らはメンバーを捜した。素晴らしい歌手であるジョー・リン・ターナーやファンタスティックなキーボード奏者であるForeignerのアラン・グリーンウッドやドン・エアーズが候補に上がった。彼等はとても良いミュージシャンだったけど、僕らは少し違うものを求めていたんだ。カールはロックの音を求めていて、僕は自分のルーツであるプログレの要素と、もう少しディープな音楽を求めていた。ストレートなロックをやりたかった訳じゃないんだ。でもコンセプトがはっきりしていた訳じゃなくて、目指すものを見つけた時にそれが何なのか分かるだろうって思っていた。

スティーヴ・ハケットがGTRを脱退した時、僕のマネージャーだったブライアン・レーンはスティーヴ・ハウと僕のコンビネーションが良いんじゃないかって思い付いた。そして彼の予感は正しかった。僕はスティーヴとたくさんの曲を作った。良いプロダクション、ギター、キーボード、ミックスダウン、僕らの相性全てのバランスがAsiaみたいに完璧なコンビネーションだったよ。

僕達はデモを録ってAristaに持ち込んだんだ。それが通って僕らは次のGTRのアルバムを作る予算をもらった。スティーヴ・ハウとの仕事は今でも誇りに思ってる。その当時カールとの仕事はうまく進まずプロジェクトは中断してしまったけど。とにかく曲はファンタスティックだったし、プレイヤーは最高だったし、無限の可能性があったんだ。でもなぜそれを止めたかだって?1つのアルバムで1曲しか歌えないなんて自分のソロキャリアを棒に振るようなものだ。難しい要求に聞こえないかもしれないが、僕にとってはそうだ。マネージャーのブライアン・レーンはわかってくれたけど、バンドのもう1人のシンガーはそうじゃなかった。何か歌おうとするとすぐに問題が起こるんだ。シンプルなバッキング・ヴォーカルを入れる時にだって同じマイクに声を被せてきた。GTRの曲の中で、僕の声は可能な限り聞こえないようにされているみたいだった。そんなにひどい話じゃないだって?僕はキャリアの中でチームプレイヤーであるように努めて来たけど、同時に自分の立場に対してハッピーかどうか、置かれている状況に対してベストを尽くすようにやってきたんだ。そのシンガーと僕は競争しているみたいでハッピーな状況じゃなかった。そんな息が詰まるような状況は僕を不安定にさせた。他のメンバーはアルバムを作る準備ができていたみたいだから、バンドが成功するのに僕は必要ないのかなって思ったんだ。その事に関してスティーヴと深く話する事ができなかったのは今でも後悔しているけど、直感的にここには合わないって思っていた。もう一度行っておくけどスティーヴのせいで辞めたわけじゃない。

彼との仕事は自分のベストな仕事の一つにあげられると思う。その後地元に帰るとブライアンが電話をくれて、キース・エマーソンがランチを一緒にしたいって言っているって聞いたんだ。あのキース・エマーソンとランチだって?って俺はびっくりした。俺はミュージシャンとしてベストを尽くしてきたけど、誰も俺の事なんかしらなかったし、メジャーリーグで成功した人間ではなかったからね。そのランチはスペクタクルだったよ。僕らの意見はすごく合ったし想像できる事は全て語り尽くした。キースは優しく、面白く、エネルギーに溢れた男だった。本当の彼を知る人間は多くない。彼に会うまでは、もし彼の銅像が立つなら発狂した科学者のようにな銅像になる、そんな人だと思っていたし、話しづらくて何を話しているかわからない人間だと思っていたんだけど。実際の彼はとても暖かくてフレンドリーなんだ

そして彼の最後の質問が「もし俺達がバンドを始めたら、過去のELPの曲を演奏するのに問題はないか?」って聞いてくれたんだ。俺は「問題ない。むしろ光栄だよ!」って答えて、俺達は契りを結んだんだ。そしてアメリカに戻ってスタジオで仕事をこなした後すぐにイギリスに戻って俺達は曲作りをはじめた。もちろんカールもずっと協力的だった。カールに対して言えるのは、彼は唯一無二のドラマーってだけでなく、彼と一緒いると何かが起こるんだ。彼は尊敬すべきダイナモなんだよ。

MM : 3としての活動を一旦終えた後、キース・エマーソンと再びプロジェクトを始動することとなった経緯についてお聞かせ下さい。
RB : キースが何かやりたいって言っていて、それにはキース・エマーソン・バンドという形が良いっていう話になった。僕のスタジオに1週間こもってリハをしたんだけどすごく楽しかった。でもGTRの時と同じで自分が正しい場所にいると感じなかったんだ。彼の素晴らしいピアノ・コンチェルトも録音した。「Desde la Vida」と共にアルバム「Keith Emerson Anthology」に収録されているはずだ。正直それくらいしか覚えてなくて、誰かのトリビュート・バンドをやるよりも自分にとって大事な事があるんじゃないかと感じていた。キースに関しても彼のキャリアはもっと輝くべきだと思ってたんだ。僕や他のみんなにとっても彼がキングだったんだよ。ELPが復活してそのキングがまた輝く場所を手に入れたのは嬉しかった。そして3でも彼は強く輝いたんだ。彼のプレイ、アレンジ、エネルギーは凄まじかった。ギター・ロックとグランジがラジオを席巻していた時代に彼なりの新しいアプローチを見せたんだ。

MM : キースとの曲作りやアレンジ作業についてはどのように進められたのでしょうか?詳細について教えて下さい。
RB : キースと仕事をした時間は僕の人生の中でも特別な時間だ。イギリスのサセックスにあるエマーソンの家で多くの時を過ごした。僕達は曲を書いたり、リハをやったりしながら自然にお互いの事を理解していくようになった。彼の家族ともよく夕食を共にしたし、カールとよくロンドンに出掛けたりもした。バンドメンバーという関係ではなく友達だったんだ。彼の家族、妻のエリナーや息子達ともみんな友達になって、とても世話になった。キースとカールは僕に自由を与えてくれたんだ。そんな感覚ははじめてだった。いつも「グレッグの代わりを求めてるんじゃない。お前が必要なんだ」って言ってくれた。僕がどれだけ嬉しかったかわかる?僕は緊張から解かれて、GTRのような状況は3では一度もなかった。ただ一つだけ、バンドの名前ははじめCzarだったんだ。2日で変わったけどね(笑)。それだけは良い感じはしなかったな(笑) 。

僕が曲を作ってキースのパートを組み合わせる形で作業していた。主にGeffenレーベルに残っていた曲をキースがアレンジした形だ。Geffenはなぜか僕にBryan AdamsやSting的なものを見出したみたいで、僕に彼等のようになってほしかったんだ。同時にキースは「Lover to Lover」のような曲を彼のスタイルに変えていった。言葉で伝えるのは難しいんだけど、キースのスタジオにリハの為に入った時、彼が「これを聞いてくれ」ってOtariの8トラック・レコーダーからデモの曲を聞かせてくれたんだ。すごくクオリティが高くてびっくりしたから「これ何のシーケンサーを使ったの?凄くタイトだね」って聞いたんだそしたら「シーケンサーだって?」「シーケンサーなんて使わないよ。これは俺が弾いたんだ。」だってさ。それが彼さ。僕自身もキーボードを弾くから言えるんだけど、他のトラックも鳴っている状態でそれらに合わせながらタイトに弾くのは難しい。あんなに感銘を受けたのは初めてだった。それがキース・エマーソンなんだ。音楽において最高のレベルにある天才である彼を見てきた。どのくらいの人間が彼のレベルに達せると思う?ごく一握りだ。その曲が、彼に値する曲にせよそうでないにせよ。彼は全力を注いで来た。こういった話をしているとまた悲しみが溢れてくる。

MM : プロジェクトが進行している最中の2016年3月10日に悲しいことにキース・エマーソンが他界しました・・。
RB : この数年前の深い悲しみは忘れる事ができない。どう感じただって?同じ話を他でもしたことがあるけどとても辛い。彼の妻エリナーから訃報を聞かされた。僕は多くのものを失ったんだ。最も有名でリスペクトされている友人、僕が音楽をやってきて一番成功したプロジェクトのメンバー、夢だった3のセカンド・アルバム、偉大なるキース・エマーソンからの電話があると、いつも僕は絆で繋がれた仲間との愛に、幸せな気分になった。俺達の歴史と絆、トップ10を記録したレコードは永遠に消え去る事はない。気持ちの整理には時間がかかった。彼が逝く前の3ヶ月間は3.2のアルバムについて相談しながら作業を進めていたからね。彼は3のライブ・アルバム「Live In Boston」をリリースした事によって情熱が再燃したみたいだったからね。その状況を27年間も待っていたんだ。

MM : キースとの作品は 3.2 「The Rules Have Changed 」としてファンの元に届けられました。アルバムでは美しくキャッチーなメロディ、卓越したセンスに溢れたアレンジ、そしてあなたの清涼感に溢れる歌声が印象的で素晴らしいですが、この作品に込められたあなたの想いについてお聞かせ下さい。
RB : まずは素晴らしいレビューをありがとう。君の感想がまさに僕が目指していたゴールだった。ファンも同じように感じてくれたら嬉しい。僕が全身全霊を込めたアルバムだからね。アルバムの制作を始めた時は27年前とほとんど変わっていない。キースはいつも7時から8時くらいに電話をかけてきた。彼がワインを飲みながら音楽を聞き始める時間だ。彼の部屋にはカシオのピアノがあって、僕の部屋にもProtoolsと接続されたカシオのデジタルピアノがあったんだ。僕らはお互いにピアノを演奏して、僕は彼の考えや彼が弾いた音を解釈するためのベストを尽くしていた。ほとんどの場合は彼が僕にこんな感じにプレイしてくれって伝える事が多かった。僕は一発で彼の言うような弾き方はできないからね。彼は孫に合う為にイギリスを訪れた後、僕達の音をどう作り上げるを我慢強く、注意深く考えてくれた。メロディーや歌詞を書く為にもう少しガイドラインが必要だったからね。彼との話し合いはディープでクリエイティブだったよ。でも僕達の電話での会話はいつもつまらないジョークが飛び交っていた。彼は楽しくておもしろい人だったからね。彼のような音楽界の巨匠というイメージからは想像しにくいかもしれないけど。


Photo by Dave Lepori

MM : アルバムのクレジットではAll Instruments: Robert Berryとありますが、この作品の作曲やアレンジ作業をキースと進めた際に彼が残した演奏はなかったのでしょうか?
RB : まずこのアルバムは3つのパターンで制作した。一つ目は前の質問で答えたように、電話しながら曲を書くやり方だ。2つ目は1987から残っているカセットテープに残っていた曲と素材から作った。3つ目はキースが新しく録って送ってくれたデジタルのファイルから製作するやり方だ。当初このアルバムには実際にエマーソンが演奏した音源を多く使用していた。彼の音最終的には100%使いたかったけどまず20%くらい使用していた。幸運な事にイントロやリンクする部分ソロのコードのセクションがあったのでそこから作曲する事ができた。

キースと作っていた5曲をProtools上に並べてみるとハロウィンのかぼちゃみたいにすごく歯抜け状態になっているんだ。でもキースと僕はそういうところから曲を作ってきていたから大丈夫だ。僕は歌詞を書いていたし、キースにはアレンジのアイデアがあった。初期の3時代にもキースは「Desde la Vida」と「 On my Way Home」の歌詞とメロディーを必要として僕がアイデアを出したって事もあったからね。お互いがパーフェクトにパズルを埋め合ったんだ。だから電話ごしに曲を書くやり方にはインスパイアされたし、クリエイティブになれた。電話が終わった後、アイデアを縫い合わせるんだ。電話で浮かんだ全てのアイデアを持ってミキシング・ルームに1人でこもって、感覚を最高潮まで高めて行く作業だ。27年越しの夢のを実現するための興奮するようなアイデアが浮かんでくるんだ。まだ僕がキースとの電話について興奮してるかだって?僕はいつも「こんな時キースならどうする?」って自分に言い聞かせて来た。キースが生きていた時の気持ちが、キースが逝ってからも再び製作を始めるための力になったんだ。

彼と打ち合わせした通りの音を作るのは本当に難しかった。僕もキーボード奏者としてキャリアをスタートさせたけど、彼のレベルに達していたとは言えない。むしろ誰が彼のレベルに達していたのか?彼が凄いのはプレイの力強さや難解さだけではないんだ。彼には燃えるような独創性があった。彼の凄味を言葉にするのは難しいよ。

エマーソンの遺族は僕が彼のパートを全て演奏しなおすっていう条件でリリースを認めてくれた。ビックリするだろ?僕がリリースをする為にはそうするしか選択肢がなかったんだ。彼が弾いたパートを弾き直すのは重く苦しい作業だった。リリースできるような状態になるまで1年かかった。果たして僕はこのアルバムをリリースしたいのか?って自問自答したよ。ファンがどう受け止めるかも不安だった。

だけど僕はキーボードを再び弾いたんだ。すごく難しい作業だった。毎日キーボードを弾いたけど彼のようには弾けないなんだ。指の動かし方、出音、サウンド全てキースが弾いたのと同じように弾けないと満足できなかった。努力した結果、彼が弾いたトラックと僕が弾き直したトラックを聞き比べてみてもどちらがオリジナルか分からないところまで完成度を高める事ができた。何回も言ったように僕は彼のような天才的なキーボード奏者ではないし、そうはなれないが、あきらめずに努力する事によって辿り着ける場所があるんだ。凄く頑張ったからみんなもこのアルバムから彼を感じてくれると思う。彼のパートに関しては絵みたいなもので、キース・エマーソンという絵が僕の指によって描かれたんだ。彼の素晴らしい仕事がこのアルバムに入ってるよ。

MM : アルバムを通してキーボード、シンセ類のパートは太く存在感のあるサウンドが印象的です。
RB : KorgのOASYSとRolandのD50の素晴らしさに尽きるね。様々な異なる音が入っているけど、3.2のサウンドを構成している音はD50だ。1987年にキースが初めてD50を手に入れ、僕達のサウンドに取り入れた。最近ではあまり聞かれなくなったけど、D50の音には他のシンセにはない独特の空気感があるんだ。恐らくサンプルレートの低さがそのエッジを作り出していて、僕にとってはその空気感のあるサウンドが楽曲の音を太くさせていると思う。OASYSはコルグの最新機種ではないけど、非常に高いレベルにあるコルグ製品の中において今もなお最高のものだ。キースもとても気に入っていたよ。もちろん僕にはMoog やOberhiemもある。このアルバムに取り掛かるにあたりキースはMoogのモジューラーを使いたがったけど、キースと話してまずは僕のMemory Moogを用意することから始めた。ベーシックな部分が完成したら必要に応じていつでも巨大なMoogを持ち込むことが出来る。僕はあまり使わないハモンドB3も持っている。キースは彼が持っているB3でとてもクリーンで豊かな彼独特のサウンドを出していた。彼は所有しているほとんどのオルガンに、ダイレクト出力を備えたものに改造してもらう事で、レスリーの音とは全く違うクリーン・サウンドを出す事ができたんだと思う。僕のB3も改造してみたけど同じようにはならなかった。ソロのいくつかでは僕がOASYS内に取り込んだB3のサンプルがより相応しい音だと判断した。そういった事からこのアルバムではハモンドB3とコルグのOASYSによるオルガンを聴くことができる。アルバムで使用する音色に対しては細心の注意を払った。このアルバムではあらゆる面で最高の品質を誇ることが重要だった。僕はこの30年間、エンジニアリングやプロダクションについてとても多くの事を学んだ。そしてこのアルバムにその全てを注ぎたかった。ギター・トーンについても確かなプラグインを選んでいる。このアルバムは極端に言うとキーボードのアルバムなのでギターはキーボードを補完することに徹する必要があった。ドラミングについて話すと、結論としては、キースと僕は 3 の1stアルバム時よりもより力強く、アコースティックなドラム・サウンドにしたかったということだ。1stアルバムではたくさんのデジタル・ドラムが入っている。今回のアルバムでは、全ての曲を書いてキーボードとボーカルの作業が完了したらドラムについてはサイモン・フィリップスに作業を依頼するつもりだった。(注. 結局はロバートがドラムを叩いている)

MM : 他に使用したキーボード、シンセ類はありますか?
RB : さっきの話の中でほぼ網羅出来ているよ。他にはProtoolsシステムにメロトロンのソフトウェアを入れていて、いくつかの箇所ではこのソフトのChoirの音を使用している。このソフトウェアの素晴らしい点はリトル・クリスと呼んでいた元ロード・クルーのうちの1人がその会社に携わっていることだ。あと、この事についてはまだ話していなかったけど、今回3.2のアルバムのために3の1stアルバムのジャケットを手掛けたアーティストを探し出した。イアン・マッケイだ。彼が3のジャケットをアップデートしたデザインで3.2のジャケットを手掛けてくれた。

MM : アルバムでは”WHAT YOU’RE DREAMIN’ NOW”などクレバーに構築されたクールなリズム・ギターや”THE RULES HAVE CHANGED”でのエモーショナルで素晴らしいギター・ソロ、アコースティックなプレイが秀逸な”THIS LETTER”に至るまでセンス溢れるギターが散りばめられています。ギタリストとしてはアルバムにおいてどのようにアプローチしましたか? 詳しくお聞かせ下さい。
RB : “This Letter”に関しては、「アルバムにアコースティック・ギターによる曲を1曲入れたい」とキースに話したんだ。グレッグがELPでやったように僕もプレイしなければならなかった。っていうのはジョークだ (笑) でも、ELPやキース・エマーソンのファンはアコースティック・ギターによる曲も受け入れてくれる、そう感じたんだ。これを作っている時、キースにはやらなければならないいくつかの公演が予定されていたけど、実のところ彼は英国にいる孫たちに会いに行きたがっていた。キースはそれらを終えた後に最終レコーディングに取り掛かるつもりだった。ただ彼に孫ができた事によって制作は少し停滞したと言える。何年か前にキースが彼の息子アーロンからおじいさんになるかもしれないと聞かされた時、僕には「ロバート、俺は爺さんになるにはまだ早いよ。」と言っていた。それなのにその数年後、孫たちは彼の人生において最も大切なものになっていたんだ。そのことに導かれて書いたのが“This Letter”だ。僕の妻レベッカに対する思いやキースが彼の孫たちに抱く思いが曲になっている。この曲が完成し、キースに聴いて貰う準備もできていた。曲のエンディングをぶっ飛んだものにするには彼ならどうするのかを聞こうともしていた。だけど亡くなった彼がこの曲を聴くことはなかった。きっと素晴らしいエンディングを提示してくれたはずだ。それを考えるととても悲しいね。とは言え、この曲をとても誇りに思っているし作り出せて本当にうれしいよ。

“What you’re dreaming now“の元となるのは1987年にカセット・テープに録音していた曲だ。当時はそれほど良いと思わなかったけど、今では信じられないくらいに気に入っている。キースはこの曲をアルバムに活かせると考えていた。作曲のほとんどはキースで曲の中で聴けるヘヴィなリフも全て彼のアイデアだ。キーボード指向のアルバムにおいてもギター指向のそれと同じようにギター・プレイを組み立てる方法はいくらでもあるものさ。キーボード指向の曲で作業する時、僕にはお気に入りの2つのプラグインがある。Mesaoogie のDual Rectifierの音が欲しいときにはSansAmpのプラグインを使う。とても太くてコシのある音にフォーカスされているところがいい。それとIK MultimediaのAmplitude4だ。友人のデイヴ・カーズナーがその会社に関わっていて僕とBOSTONのギャリー・ピールのためにこいつをセットアップしてくれてね。Amplitudeの初期ヴァージョンは持っており、それでも全く問題はなかった。けれどもセットアップしてくれた最新版には求めていた良質なアンプが全て揃っている。たくさんの種類のアンプ、スピーカー・キャビネット、マイク、そしてそれらを鳴らす部屋のタイプ、これらを好みに応じて様々に組み合わせることができる。その中でもアンプはVox AC30やFender Baseman 4×10をよく使っている。これらを一緒に使うことで太く、クリーンなサウンドが得られる。ギターをもっと前面に出したい時に好んで使っているアンプもいくつかある。とても気に入っているMarshall JCM2000やクリス・スクワイアのようなベース・サウンドを出すためのHiWatt 100 watt[4×12 Fane speakers]も持っているけど、今回のアルバムではそういうアタックが強い音は求めていなかった。ベースには曲やドラムをサポートする力強い低音域の土台としての役割が求められていたんだ。メインで使用しているベースは2本ある。1本はサミー・ヘイガーと仕事をしていた時に彼からもらったベースだ。Washburnの既製品だけどWashburnのカスタム・ショップにより改造されたものだ。Bartoliniのピック・アップが付きネックはグラファイト・ネックに変更されている。このギターが奏でる低音域は素晴らしいんだ。Bartoliniは太く安定したサウンドを提供してくれる本当に素晴らしいメーカーだ。もう一本はSteinberger のGシリーズだ。ボディがストラトの形状をしたベースで 3 でツアーした際は予備として持ち回った。その時は全く使わなかったけど、ウッド・ボディのこのベースがとても良い音で鳴ることがわかったんだ。多くのサウンドと混ざり合うような状況下でもEMGピックアップを搭載しているこのベースはとても良く音が安定している。僕がカヴァーしているヴァージョンのYESの”Roundabout”ではこのベースを弾いているので聴いたことがある人もいるかもしれないね。そこではベースをNeotekのコンソールへダイレクトに繋げると共にHiWattでも鳴らしている。、スティーヴ・ハウがこのカヴァー曲のエンディングでギターを弾いてくれたんだけど、その時にこの音を聴いたスティーヴがやられたくらいに素晴らしい音さ。「なんて音なんだ!」ってさ。


Photo by Dave Lepori

MM : アルバムで使用しているギター、アンプ、ペダル、エフェクターについて教えて下さい。
RB : アンプについては少し説明したけど、このアルバムのサウンドを語る上でドラムはとても重要だ。友人でありサミー・ヘイガーのドラマーを務めているデヴィッド・ロウザーがDW Drumsを紹介してくれてね。DWの全てが詰まった美しいシャンペーン・グラス・スパークル・キットを持っている。キックの持つパワー、スムーズかつシャープなタムの音がすごく気に入っている。

ペダルも含めた全てのハードウェアがDW製だ。僕には好んで使用しているシンバルのコンビネーションがある。クラッシュ・シンバルは左側に16インチのZildjan、右側には17インチのPaiste。とても古い18インチのZildjanも持っていて右側のクラッシュとしても使っている。ライド・シンバルは必要に応じて曲ごとに交換している。22インチのZildjan Clean Rideを持っていてその音が好きだけど、非常にショートかつクリアーな音が必要な時はトム・ショルツがくれたZildjanのDry Rideを使っている。Soundtekスタジオのドラム・ブースはかなり大きいのでルーム用のマイクはAKG 414とNeuman U87を使った。典型的な手法だけどこれをミックス時にほんのちょっとだけドラム・サウンドに加えている。ハイハット・シンバルは14インチのPaiste Signature HiHatだ。ドラムのマイクはキックにD12、スネアにSM57、全てのタムに421、オーバーヘッドに414だ。そしてハイハットのマイクはAKG 461。ドラム・サウンドは、最終ミックスで全体的に広がりを持たせるためにとても重要だ。最適なサウンド、ドラム・スタイルを得るために多くの時間を費やしている。

アルバムで使用したギターは曲により様々だった。いつも使うギターは15本くらいだけど、その他にも必要な時に使用できるギターのコレクションがあるんだ。メインの2本はフェンダー・カスタム・ショップ製のストラトキャスター、そしてソープバー型のピック・アップが3つ搭載されているPRSのギターだ。アコースティックについてはテイラー 714と70年代に作られたマーティンの12弦ギターを使った。ヴィンテージの12弦リッケンバッカー、日本製のフェンダーのテレキャスター、スタインバーガーのGシリーズ(6弦)、あとグレッチのSparkle Jet、これらによる音もアルバムの所々で聴くことができるよ。

ペダルには凝っていないよ。アコースティックによるショーの際はループ・ペダルとちょっとしたブースターを使うけどエレクトリック・ギターの場合はアンプで音作りする。マーシャルのJCM2000は素晴らしいクリーン・サウンドといかにもマーシャルらしいディストーション・サウンドを持っている。クリーンな時の音はマーシャルというよりもよりフェンダーに近いと思う。リズムギターの場合はVOXで中位程度に歪ませている事が多い。リード時はディストーションをフルにしている。マーシャルのディストーション・ペダルやTurbo RATを使用して自分が求めている音を作った事もあるが、これらのペダルを使用するのは主にマーシャルのJCM2000又はVOXのAC30を使用した時だけだ。

MM : 先ほどのお話にも出ましたが、あなたは80年代にスティーヴ・ハケット脱退後のGTRに後任として参加し、スティーヴ・ハウと共にGTRを継続させようとしました。そのGTRは残念ながら2作目となる作品をリリースすることはありませんでしたが、当時の状況について教えて下さい。
RB : 僕とスティーヴ・ハウはGTRのセカンド・アルバム用にとても沢山の曲を書いた。3がレコーディングしたのと同じスタジオ(E-Zee Studios)でデモも作った。そこは”Easy Hire”と呼ばれており、僕のレコーディング・スタジオであるSoundtekとよく似ていた。デモはとてもいい出来栄えだったよ。僕がバンドを離れた後にレコーディングされたものよりは、はるかに良い。僕の在籍時にレコーディングで残したマスターは、もう一人のシンガーによって苦労させられたものだからね。僕が自分のパートを歌いに行く度、彼もやって来ては同じマイクに僕よりも大きい声で被せてくるんだ。僕は対立するためにバンドにいたわけではないから、そのような状況は適切でないと決断したのさ。今考えると、スティーヴともっと話すべきだった。スティーヴとはとても良いソング・ライティングのパートナー・シップを築けていたし、彼は僕のギターのヒーローであることはもちろんのこと、人としても一緒にいて楽しかった。本当にバンドのメンバーの誰もが一流だった。ドラムだったナイジェル・グロックラー (SAXON) とは今でも連絡を取り合っているよ。本当に素晴らしいバンドだった。

MM : 今後の予定を教えて下さい。
RB : 3.2 に対する反応はとても素晴らしいよ。個人的にはこの反応を後押しにツアーをしたいね。3、Pilgrimage to a Point、Magna CartaトリビュートやAmbrosia、もちろん3.2の曲に至るまでプログレッシヴ・ミュージックにおける僕自身のキャリアを総括するようなツアーにしたい。大変な仕事になるだろうけど、その可能性にはとてもワクワクするよ。僕にとって日本でプレイすることが最優先だ。日本に友人がいるけど、日本で僕に会えるなんて思ってもいないだろうな。叶うように願っているよ。

MM : ファンへのメッセージをお願いします。
RB : キースは日本の皆さんのことを最大で最高のファンだといつも話してくれた。日本の皆さんは長きに渡り僕の事もサポートしてくれているしね。日本で僕達が一緒に作った音楽を演奏しキース・エマーソンとの思い出に敬意を表すだけでなく、これまでに多大な支援をくれた皆さんに個人的に感謝したい。2019年に会えたらいいね。皆さんよろしく!

Robert Berry official website : http://www.robertberry.com/


3.2 / THE RULES HAVE CHANGE

01 ONE BY ONE
02 POWERFUL MAN
03 THE RULES HAVE CHANGED
04 OUR BOND
05 WHAT YOU’RE DREAMIN’ NOW
06 SOMEBODY’S WATCHING
07 THIS LETTER
08 YOUR MARK ON THE WORLD
09 Sailors Horn Pipe (Instrumental) JAPANESE BONUS TRACK

Produced by Robert Berry
Arranged by Keith Emerson / Robert Berry